最近よく聞く「見守り育児」って?

「見守り育児」

最近「見守り育児」という言葉を耳にする機会が増えました。

子どもの行動を見守り主体性を伸ばす育児方法ですが、そう簡単ではないので見守り方にはとっても苦戦します。

自由だからこそ怖い

子どもが色々なことをするのに親が口を出さずに主体性に任す。

想像では気楽で、育児に手をかけず自分の事もできるかもなんて思ったら大間違い。

少し目を離したら変なものを口に入れるし、大事な郵便物を破ったり、変なところにお絵描きしたり、、、、。

子どもにとって目の前のものは無限の遊び場、とにかく自由に遊びまくります。

それこそが親にとって一番怖いところで、子どもの安全だって気にかかっておちおち自分のことなんてできません。

子どもにも大切な自分の時間

私は比較的子どもたちに自由にやらせていて、お世辞にも部屋が片付いているとは言えず、子どもの過ごす部屋もオモチャが落ちていたりします。

子どもって見ていると面白くて、遊ぶ時に変に帽子かぶったり、真夏に冬のジャンバー着たりしながら本を読んでいたりします。

興味の対象がどんどん移っていくからなんだと思いますが、色んなもの引きずり出して、部屋をグッチャグッチャにしてふと何かに気付いて集中して遊びだしたりと本当に本能的に動いているのがわかります。

片付けしなさいって言いたくなるけれど

色んなもの出しっぱなしなので所々で片付けしないって言いたくなるところですが、ある程度の年齢までは子どもに自分の時間を使わせてまでその必要はないと思っていて、例えばこれから食事の用意が始まるとか、もう寝る時間だとかそういうタイミングで初めて片付けるよう促したりします。

子どもにとっても食事のために片付けないといけない、寝る準備だから片付けないといけないなど理由ができるのでやりがいもあるし、親になぜ片付けするように言われたのかが理解しやすいのかもと考えています。

好奇心に任せる

子どもが今から何か悪さしたりイタズラしようとする直前、親は察しがつくことがありますよね。

例えばヤケドするとか、高いところから転落するような危険がある場合はすぐに止めに入りますが、子どもの好奇心に任せてやらせてみることがあります。

例えばこの写真。

水飲みの栓を全開して高く水を飛ばしてしまったシーンなんですが、もし私がとっても教育熱心で、あれはダメ、コレは人に迷惑かかるからダメ、社会の常識を叩き込むみたいな親だとしたら水飲み場に近づいた時点で「触っちゃダメ」って注意していたかもしれません。

チャンスを逃さない

ですがこの時は「そうそう触ってみたらどうなる?」って子どもの行動を見守りました。

案の定、全開にした水がピューッと高くあがります。

次女はこういった水飲み場を触ることがあっても水を出した経験はありませんでした。

今回始めて水を出し、なおかつ全開することによって水が高く上がることを学んだわけです。

リアルな体験が学びにつながる

ただし水は大切、ある程度触らせたら水の大切さと他の人がいたら水がかかる事を伝えました。

2歳なのでどれくらい理解しているかなんて未知数ですが、未経験の事を想像だけで注意するよりもリアリティがありますし、何よりも水が高く上がったという経験が残ります。

これこそが学びですよね。

批判を恐れない

見守り育児をしていくというのは理解のない人からすると批判される事もあるかもしれません。

これやめさせた方がいいんじゃないのとか、変な遊びしてるのに止めないのって言われるかもしれませんが、親として自信を持っていて良いです。

放任や育児放棄ではない

放任とか育児放棄、ネグレクトなんて言葉がありますが、見守り育児はそもそも質が違うものです。

放任とか育児放棄はそもそも育児をしていないことであり、見守り育児は立派な育児の一つです。

過干渉育児

見守り育児と並んで必ず出てくるのが過干渉育児。

見守りと真逆の育児で、親が先回りしてあれやこれやと手助けしたり注意したりする育児方法です。

夫婦共働きの家庭が増えた影響もあり、一つの行動に対する時間が短縮、その影響で子どもがサッサと行動するように急き立てたり、手伝い過ぎることが増えているようで、そうで無かったとしても、子どものためだからって過剰に手を出してしまう人もいるようです。

過干渉の影響

過干渉育児の影響として言われているのが自主性が欠如したまま大人に成長し、例えば就職などの大切なときでも自分で就職先を決められないや、働いても自分で問題解決ができないなどの影響が出てくることもあるようです。

それは親の描く未来

親として幸せな大人になってほしい、幸せな人生を歩んでほしいという気持ちが大きく現れ過干渉になりすぎた結果ですが、本来自分で描いて行くはずだった未来ではなく、親の描く未来になってしまうのは悲しいことです。

子どもの目線で

私は見守り育児を比較的気楽にやっているのですが、子どもが行っている行動を子ども目線で考えることがあります。

なのでちょっとしたイタズラは一緒に参加してやることもあるし、変な格好をしていたら手伝ったりも。

そうすると子どもってどんどん想像力を働かせて次の楽しい事をやっていくんですよね。

子どもの想像力

大人はご飯は箸で食べ、お茶はコップで飲むものって当たり前に考えているけれど、子どもはもっと独創的に考えていて、コップにご飯入れてみたら面白いとか、お茶はお皿で飲んでみたいとか好奇心も持っています。

それが何に繋がるかっていうのは大人には未知数だけど、それを止めたら想像力も通行止めになるかもしれません。

結局大人になったらちゃんと箸とコップの使い分けはするでしょうし、少し理解を示して見守るのって悪いことではないと考えます。

赤ちゃん脳の親にならない

幼児って驚くべきスピードで成長してますよね。

昨日まともに描けなかった顔の絵が、翌日にはきちんと目・鼻・口を描いてみたり、たまたま通っただけの旅先のお店のこと覚えていて話したり。

未だに驚かされることが何度もあります。

それなのに親がいつまでも赤ちゃんだと思って、何もできない、手助けしてあげないといけないという赤ちゃん脳のままだと意味がありません。

親の考え方も成長が必要なわけですね。

最後のまとめ

大切なことってわかっているのになかなかできない育児ってありますよね。

その代表格が見守り育児じゃないでしょうか。

忙しいからという理由で過干渉になる傾向ってありますが、どこか大人の都合で子どもを動かしている所はあるかもしれません。

私も何回も失敗して育児を日々やっています。

もうトライ&エラーの繰り返し。

ただ、それこそが子どもにとっても一番良い育児かもしれません。